そばこぼれ話、江戸前すしは鮮度抜群のちよだ鮨

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そばこぼれ話

そば(うどん)に関するこぼれ話をご紹介します。
よりおいしく召しあがっていただけるよう、一助となれば幸いです。

「二八そば」の由来
二八そばの由来には、二つの説がある。2×8=16の語呂で、一杯16文という代価説。そば粉8割に、つなぎの小麦粉2割で打ったそば、という混合率説。「二八そば」という言葉は、約300年前の江戸時代の文献「衣食住記」の中で初めて登場。「神田辺りにて二八即座けんどんといふ看板を出す」という記述がある。
「そば切り」の起源
そば打ち、つまり「そば切り」が一般大衆食として普及したのは江戸時代中期に入ってからのようで、農村などではまだハレの日のごちそうだった。そば切りの初見としては、長野県木曽郡大桑村にある臨済宗妙心寺派定勝寺で、1574年の仏殿の修理工事の際、そば切りをふるまったという記録がある。
「庵」のつく屋号が多いのはなぜ
江戸時代中期、浅草にある一心山極楽寺称往院という念仏道場の院内に、道光庵という支院があった。ここの庵主が信州の出身で、そば打ちが大変上手かった。ここは寺方なので、精進汁に辛味ダイコンの絞り汁を添えて檀家の人々に食べさせて評判になった。それが「そば切り寺」として広がり、その道光庵の名声にあやかろうと、当時のそば屋の間で「庵号」をつけるのが流行った。
年越しそばの由来
鎌倉時代、博多の承天寺で年を越せない町人に「世直しそば」と称してそば餅をふるまった。するとその翌年から運が向いてきた。以来、大みそかに「運気そば」として広まった。そば切りは細く長く伸びることから、家運や寿命を伸ばすという縁起からきている。佐渡郡「寿命そば」、越前「のびそば」がある。そばは切れやすいので、一年の苦労や厄災、借金を切り捨てようと「縁きりそば」「年きりそば」「借銭切りそば」などとも言われている。その他地方によっても、色々な説がある。
引っ越しそばの由来
江戸時代からの習わしで、「側」に引っ越してきたので「そば」というような、江戸っ子の洒落もあったかは定かでないが、ご近所へは二つずつ、大家さんには五つというキマリもあったらしい。費用が安くあがることや、細く長くおつきあい、といった意味もあった。
「せいろ」は「蒸籠」のこと
江戸時代初期、つなぎの小麦粉を使わなかった生粉打ちのため、ゆでると切れやすかった。そばを湯通しではなく、こわ飯などと同じように蒸す方法もとり、蒸籠にもって出した。その名残で、もりそばを「せいろ」と言ったりする。本来「蒸籠」は「せいろう」と読む。

参考資料「そば・うどん百味百題」柴田書店

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